ダブル成人式の意義

3月20日(水)グランドホテル湘南で開催されるS47年度生まれの藤沢市ダブル成人式にむけて、重度の知的障害と身体障害をもつ40歳の息子さんがいるお母さんよりお祝いメールが届きました。

このメールには息子さんに対するお母さんの深い愛情が溢れていて、思わず涙が止まらなくなってしまいました。

同じ時間を重ねてきた仲間たちにはそれぞれの人生があり、家族やまわりの人に支えられながら生きているんだと実感しました。ダブル成人式の意義を改めて考えるメールでした。

人生はつらいことや大変なことばかりだけど、この息子さんはこんなお母さんと一緒にいられるのだから幸せな人生を送っているのだと思います。

ブログで紹介してもよいという許可をいただきましたので掲載します。

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本白水さまへ

初めてメールをさせていただきます。

今から20年前の雪の降る成人式に、息子に背広を着せて主人と共に参加しました。
市民会館では、車いすに乗せた息子を係の方が誘導してくださり、
葉山峻市長さんの後ろの席に息子を真ん中に3人で座らせていただきました。

本来なら、親は付き添えないのですが重度の知的障害と身体障害を持つ息子ゆえ、
ご配慮くださり、葉山市長さんや来賓の方々にも「おめでとう」と声をかけて
いただき胸いっぱいになったことを今もはっきり覚えています。

予定日の8月4日に未熟児で生まれ、うぶ声もあげずミルクも吸えなくて
鼻空栄養でミルクを飲ませ25日後に退院してきました。
その後も肺炎などで今夜が山と言う重い夜も乗り越え、藤沢市立白浜養護や鎌倉
養護高等部を経て、藤沢育成会の通所更生施設「しょうなんゆうき村」に通い、
今に至っております。

34歳でケアホームに月から木まで泊り金土日は実家と言う下宿生活を始めて、
親亡き後に備え多くの方に支えていただきながら本人なりの自立への道を
歩んでおります。

昨年は2度目の成人式を迎えることが出来たことを記念して昨年、家族で
沖縄旅行を楽しみました。
20年前の成人祝いにはグァム島旅行に息子と共に行きましたが、数年前に
大たい骨骨折をしてしまい大たい骨置換手術を受けチタンも入れていることも
あったり、体調の不安もありパスポートは用意したものの国内にしました。
全日空のスチュワデスさんに帰りの飛行機で「2度目の成人式祝いに来ました」と
お話しましたら車いすで降りる時にスチュワデスさんたちがキャンディで造った
ブーケにカードを添えてプレゼントを用意してくださいました。
「3度目の成人式もお待ちしております」と言われ、思わず親は自分の年を
数えてしまいました(笑)。

息子は2歳半から藤沢の地で育てていただきました。
生まれてきてよかった、藤沢の街でよかったと言ってくれるような藤沢であって
ほしいと心から願っています。
街も20年前とは違って、車いすで出掛けても、エレベーターや車いすトイレも
あちこちにあり、南口や北口への移動も楽ですし助かっています。
何より車いす用トイレは異性間介護者にとってはほんとうにありがたいです。

このたび、「昭和47年度生まれのダブル成人式」が開催されることを知りました。
素敵な企画ですね、お世話役をありがとうございます。
多くの方が参加されて皆様の若い力で、藤沢を盛り上げて行ってほしいです。
盛会でありますようにお祈りしています。

ところでミクシーで見せていただきましたが本白水さんはお子さんが
いらしゃるんですね。
考えてみれば、40歳の時は自分も親をしていました。
私は66歳になりますが、未だに現役母さんをさせていただいてて
息子もいつまでたっても可愛く愛おしく、年齢の感覚が今ひとつのようです。

これからも、ご健康でますますご活躍されますよう、お祈りしています。
ご家族様の上にもご健康とお幸せをお祈りしています。
長々と失礼いたしました。

信永圭子(ミクシーでは、かえるです)。

———- ここまで ———-

その後、私の返信に対するメールがきました。
ここにも子を持つ親として教科書にしたい内容がたくさん詰まっていたので掲載します。

———- 本文 ———-

お忙しい中をメールを読んでいただいた上にお返事までいただき
ありがとうございました。

息子が生まれてからすぐにかわいいと思ったのではないのです。
逃げられるものなら逃げたい、でも逃げるわけにはいかない。
私がこの子を守らなかったら誰が守ってくれるのか、そんな気持ちでした。

生命を守ってやれるんだろうか、私が死んだらどうするのだろうか等など、
頭の中は将来への不安がいっぱいで、息子にミルクを飲ませることとの闘いと
いうような切羽詰まった日々だった、ゆとりもなかったように思います。

元気に生んでやれなかったという負い目もあって、、、こんなスタートでした。
愛にあふれる立派な母ではありませんでした。
本白水さまに褒めていただけるような母ではなかったのです。
期待を裏切ってしまったこと、申し訳なく思います。ごめんなさい。

年月を経て、息子が私を変えてくれた、気づかせてくれた、だから今の私がいる。
息子に出会えた人生、本当に幸せですと今は自信を持って言えるようになりました。

世間の価値と違うところで、本人が持ってる力をめいっぱい発揮し、できないところは支えていただきながらも、お仲間と共に一生懸命生きている息子の姿は尊いことと思っています。

自慢の息子なんですよ!立派に生きていますから、目いっぱい生きてますから。
「生きててくれてありがとう」って言う言葉が私の気持ちにぴったりかもしれませ
ん。
息子大好きです!!!

誰もが初めて親になって、戸惑いながら、迷いながら、親になっていくんですもの
ね。

親と言っても未熟で当たり前、振り返った今、そう思えるようになりました。
どうぞ息子と同級生の本白水さんも、息子さんとの生活の中で、ご一緒に成長を
楽しんでいってくださいね。

2度目の成人式を迎えられた方々が、「また3度目の成人式に会おう!」と言う声が
あがるような良き時をお過ごしくださいますよう願い、お祈りしています。
本白水さんのお働き、お大変と思いますが本当に素晴らしいことと思っております。

あいにく2度目の成人式の日は都合が悪く、残念ながら欠席とさせてください。

>ブログでご紹介させていただきたいのですけど宜しいでしょうか?

障害をもって生まれてきたけれど、幸せに充実した日々を生きてます!と
いうことを知っていただける機会をいただけますこと、ありがたいです。
障害を持つことで不自由は確かにあるけど決して不幸ではないと思っています。
可哀想じゃないよ、と分かっていただけたらうれしいです。

>お名前公開が困るということであれば匿名にします。

息子は村岡地区、弥勒寺3丁目で育ってきました(今は鵠沼に引っ越しました)。
藤が岡団地の土曜学校という会で幼稚園前の2年ほど母子で通いました。
村岡地区の学童保育「ころりんクラブ」にも母子で参加させていただいた
時期もありました。
キリスト教団藤沢教会・教会学校にも母子で通いました。
もしかして覚えていてくださる方もおられるかもしれません。
信永健(のぶながけん)の名前を出していただいて思い出してくださる方が
いらしたらうれしいです。
よろしくお願いいたします。

長々と書いたメールにお付き合いくださり、ありがとうございました。

信永圭子

———- ここまで ———-

世間の価値と違うところにこそ、
本当に大事なものがあるのだと改めて気がつくことができました。

多くの気づき、学びを与えてくださって本当にありがとうございます。

今回のダブル成人式の意義、
自分たちはいろんな人に支えられてここまでこれたこと
この感謝を忘れないこと、その恩返しに自分たちは何ができるのか
この機会に考えていきたいと思います。

本当にありがとうございました。